下駄箱を開けても箱の山、机の中も、鞄の中も、どこを開けても出てくるのは箱の山だ。 3時間目が終わり、貰ってくださいの勢いもおさまってきた。昼休みがピークだぞと言われて、渇いた笑みがこぼれたが、ひとまず休憩だ。腕を伸ばしたり首を回したりしていると、名前も知らない女子が机の上に小さな紙袋を置いてそのまま逃走してしまった。 斜め前の席の男子も始めは驚いたり羨んだりしていたが、さすがに呆れている。 「たぶん、あれ1年」 走り去る女子を目で追っていると親切に学年を教えてくれた。 「へぇ。名前くらい言ってくれればいいのに」 「言ったところで覚えるつもりあるのか?」 それはどうだろう。答えに迷ってにこりと微笑めば、けらけらと笑われた。 「なんかここまでくると羨ましくもなくなるよなー。袋やろうか?」 「持ってるのか?」 「ロッカーに漫画いれてたやつがあるはず」 親切だなあ、と氷室は廊下にあるロッカーのもとへ駆けていった背中を見つめた。 その間にもあらゆるところから女子が現れてはチョコを置いていく。 今日、いつでもいいから空いてないかな?という願いには、笑顔で断ることにしている。 「氷室!あったぞ!」 嬉しそうに紙袋を掲げて教室に戻ってきたクラスメイトに視線が集まる。 これなら結構入りそうだろ、と得意げに紙袋が広げられた。チョコよりもこういう優しさの方が有難いと思ってしまう。 「ありがとう、助かった」 「詰めたらロッカーいれといたほうがいいぞ。机の横にかけてたら通る時に蹴られるからな」 世話好きなのだろうか。自分にあれこれと物を言うのは、師匠くらいだ。紙袋にチョコレートをつめて、言われたとおり廊下にむかう。立ちあがると、もうチャイム鳴りそうだからな!とまたも親切に忠告をうけた。 数メートルだけなのに、既に紙袋の持ち手が悲鳴をあげそうだ。重みからして、チョコレートだけじゃなく、物も入っている可能性がある。 食べきれるかな、どうだろう。とりあえず手紙があるかないかだけ確認すべきか。廊下へ出ると、通行人がちらちらと紙袋を見てくる。 まだ1日の半分も終わっていないのに、どっと疲れた。とりあえず、ロッカーにチョコをしまって、4時間目の英語は休憩の時間にしようと決める。 氷室のロッカーは三段あるうちの一番端の下だった。ロッカーはつるりとした木目調で南京錠がついている。 慣れた手つきで番号を合わせて扉をひらくと、赤色の包装紙で彩られた四角い箱が登場した。 「え!」 思わず声をあげてしまって、慌てて口元を押さえる。3つの番号を合わせると解錠できるが、どうやら番号が知られてしまったらしい。 嘘だろ、なんでこんなところにまで、女の子って恐ろしい。本日数度目の溜息をついて、ハート柄の包みも紙袋にいれた。 「おい氷室、やっぱり大量アルな」 「ああ、劉…」 おはよう、と力なく言うと、朝練で会っただろうと劉は笑った、そう言う彼も数個のチョコを抱えて御満悦だ。 「それなのに溜息つくなんて。罪な男アル」 「勝手にロッカーにチョコ入れられてるんだぞ。鍵は閉めた後バラバラの番号にしてるのに…そこまでして渡したいものなのか?」 「それ私が教えた」 「え?」 「3ケタの数字とか予想で大体当たるアル。大体誕生日にしてる奴が多いけど、お前の誕生日は4ケタだし。番号教えるのは悪いと思ったからヒントだけ」 ごにょごにょと英語でつぶやいた文句も、劉には理解できたようで、丸聞こえだと忠告を受けた。 「敦に言ってやろうか?喜ぶかもしれない」 「それは…駄目だな」 「なんで?」 「…敦はこういうの、嫌いだろ」 「じゃあ、口止め料肉まん1個でどうアル?」 「…なんで俺が」 何もしてないのに。怒ったところでしょうがないので怒らないが。 氷室は揃えられた南京錠の番号を回しながら項垂れた。ちょうどいい、次の授業中にでも新しい番号を何にするか考えることにする。 教室に戻ると、げんなりした氷室を見て先ほど紙袋をくれた男子生徒が「袋破れたのか?」と聞いてきた。世話をしたがるのかと思えば、少し見当外れのことも言う。赤色の髪の弟のことを思い出して、首を振った。 事の成り行きを伝えると、「バレンタインって大変なんだな」と言われた。 本当に、心の底からそう思う。貰ってばかりだが、渡すという最大の試練が待っていることに氷室は目を瞑りたくなった。 授業が終わって一区切りと思いきや、部活が始まる前、体育館の待ち伏せに出くわして、疲労はピークに達した。 どうしても直接言いたいことがある。今でも部活が終わっても、いつでもいいから。真っ赤になりながら話しているのを、断れば悪人だなぁと黙って聞いていた。 こんな話はどうでもよくて、早くバスケがしたい。あと数歩先に踏み込めば、一日の鬱憤をようやく晴らせるのだ。 「氷室くん、お願い」 「ごめん。今日は…そういうの全部断ってるんだ。もう行かなきゃいけないし」 逃げるように体育館に駆けこんだ背中に、「待ってるから」の声が投げられた。 どうしたらそこまで必死になれるのだろう。大して話してもいないのに。俺のことも、よく知らないのに。 女子に囲まれることは慣れているけれど、知らない人間から想いを受け取るのはなかなか辛い。 きっと、この日の為に努力をしているのだ。愛情たっぷりのチョコレートや、ぴかぴかに磨いた爪や、つやつやの髪の毛。 全部今日のためで、今日だけのためだ。それでも行動しないよりはいいのかもしれない。鞄の奥底にいるチョコレートは未だに取りだされる気配もないのだから、彼女たちの勇気は素直にすごいと思う。 無心で走って、パスをして、シュートをして。これだけのことが、こんなにも楽しい。こんな氷室のことを、彼女たちは知らない。 「室ちん今日テンション高い〜」 「え、そう見えるか?」 「うん。分かりやすいし。でも疲れてんね〜」 ぐしゃぐしゃと大きな手に頭を撫でられて、むっとするのではなくて、慌てて手をはらいのけていることだって、知らないのだ。 10分休憩!と指示が出て、水分補給のために部員は散らばっていく。 「チョコ食べたらいいじゃん。とーぶんほきゅーしなよー。いっぱいもらったんでしょ?」 「ああ、思ってたより、いっぱいもらって。一つ食べたら全部食べないといけない気がして」 「………ふぅん」 「隙間という隙間に突っ込んでくるんだよ。もちろん呼び出しとかもあるけど。ロッカーも勝手に開けられたし」 「ロッカー…ねぇ。それどーしたの?」 「どうしたって?」 紫原の眉間に皺が寄る。機嫌が悪くなるようなことは言ってないつもりだ。 「…食べたとか、捨てたとか、あげたとか」 「他の子からもらったやつと一緒にに紙袋にいれたけど。それよりも敦はどうだったんだ?」 「えー?」 「いっぱいもらっただろ?」 「もらったけど、食べちゃったし」 「知らない子からもらったやつも?」 「うん。食べた」 「…お前、病気になるなよ」 お菓子だったら誰から貰おうと食べるのか。呆れと関心が微妙に混じる。 「ちゃんと今から消費するしー」 ピィッと笛が鳴る。集合の合図だった。 残り30分で行われたミニゲームでは思い切り動いて、それでもまだ足りず残ると言えば、紫原も「じゃあオレも」と体育館に残った。 「じゃあオレも」なんて、言わなくたって、紫原は体育館に残る。あのウィンターカップのあとから、ずっとだ。 それよりも前から気が向けば残ってはいたけれど、年が明けてからは毎日のように最後まで体育館に一緒に居る。 ひとり、ふたり、と人数が減ってゆく。劉も空腹に耐えかねて、先に帰ると言いだした。肉まんのことも忘れてはいないようで、「明日請求するアル」と体育館入口で叫ばれた。 時刻は20時になったとき、どちらからともなく帰ろうかという雰囲気になった。手早く着替えをすまして外に出れば、凍てつくような寒さに思わず二人で変な声をあげてしまう。 「…未だに慣れないな。顔がおかしくなりそうだ」 「いやいや、ならないっしょ」 ふと、待ってますと言っていた女子のことが気になった。さすがに、この寒さでは帰ってしまっているだろう。申し訳ないことをしたけれど、仕方がない。 「何きょろきょろしてんの?」 「いや、部活終わるまで待ってますって、言ってた子がいて…」 「あー……。帰ってんじゃない?」 だといいけど。頷いて、歩き出す。寒いというよりは痛いという感覚の方が強い。二人して険しい顔をしながら、雪道の上を歩く。 「積極的だよな。待ちますって、叫ぶとかさ。どうしても話したかったらしいけど」 「室ちん、変なとこ鈍いからさぁ。…それに、ちゃんと話す前に笑ってごまかされるより、言いたいことがあったんじゃないの」 「俺、鈍いか?」 「んー……」 ざくざくざくと雪を踏みしめる。氷室に歩幅を合わせていた紫原が一歩分多く足を進める。 「……オレ、ロッカーの番号、室ちんと同じにしよっかなあ」 「え?」 ぴたりと足をとめた氷室が紫原を見上げた。マフラーに埋もれて口元がよく見えない。菫色の瞳がゆらゆらと動いて行き場を探している。 「え、敦?………あれ?」 じゃあ劉が言ってたのはなんなんだ。敦に言ってやろうかって、もうすでに言ったあとだったってことか。 もう、言ったとか言ってないとかはどうでもよくて、じゃあ、あの四角い箱の正体は―――。 右肩にかけたスポーツバッグと、右手にぶらさがる紙袋が歩くたびにぶつかって、てっぺんにある赤い箱が紙袋のてっぺんで揺れている。箱と紫原を交互に見た。何を言えばいいかわからない。 「そしたらお返し、渡しやすいもんねー。マシュマロでもいーし、アメでもなんでもいーよ」 残念だね、敦。その時期はもう学年が変わる前だからロッカーは使えないよ。 意地悪く笑みを浮かべれば、いつも通りだ。むっと唇を歪めて、拗ねたところで、ごめんな、敦、冗談だよ。何がいい?下から顔を覗き込んで、笑ってやる。 とても簡単なことが、とても難しい。 「……止まんないでよ」 ポケットから出てきた手のひらに左手をつかまれて前へ進む。少しだけ下がった眉を、氷室は見逃さない。 「はやく歩いてくれないと、寒いし。室ちん荷物で右に傾いてるし、ひっぱってあげるー」 雪の上を歩くのも大分慣れてきた。ずんずんと紫原は前だけを見て歩いていく。 「なあ、敦」 「なにー?」 もっと早く歩いてよね、と左手が引っ張られる。 「俺、ロッカーの番号変えるつもりだったんだけど。物なくなったら困るし」 「…うん」 「変えなくてもいいか?」 「………好きにしたらー」 「嫌じゃない?」 「別に」 「そっか」 はははは、と笑いだした氷室を見て、紫原は溜息をつく。ほんと今日テンション高いしー。白の息と一緒に出てきた言葉に、氷室は自分の頬が緩むのが分かった。この調子だ、と唇を動かす。 「あとな、」 「次はなにー」 「チョコレートでも、いいか?」 「え?!」 進んでは止まり、進んでは止まりの繰り返しだ。急に足をとめた紫原が勢いよく振り返る。 「だから、チョコレートでもいいかって」 「ちょこ、れーと」 氷室の話はいつも唐突だ。紫原は復唱する。ちょこれーと?…チョコレート!寒さで細められていた目が見開かれる。 「うん、チョコレート」 「どこにあんの?」 「………鞄の中に、あるんだけど。敦に、あげようと思ってて」 「なんではやくくれないの」 「いつ渡そうかなって考えてたらタイミング逃して……」 いいから、はやくちょうだい!詰め寄られて、これからもよろしくのチョコレートだよ、と言ってしまった。 もちろん、そうなのだけれど。見開いていた紫原の目が、細くなっていく。見えない唇もむむむと歪んでいるだろう。 氷室はしまったとは思いつつも、意地悪と言われれば、そうだよと言い返してしまう。 「他の誰かにあげる予定なんてないし。チョコレートは逃げないから。今は手、塞がってるし。寮でな?」 ぎゅうと握られていた手を強く握り返す。 「はやくかえろ!」 ああ、かわいいなあ。かわいい、おれのあつし。心の中はそんな気持ちでいっぱいで、 ぐるぐるのマフラーをはがしたら、氷室にしか見ることのできない紫原の顔をみることができると思うとたまらなくなる。 止めていた足を、また動かして。あの鍵の番号のように綺麗に並んで歩くことはできないけれど。 はやくはやくと急かす言葉につられて、二人で前に進む。こけないように、気をつけような。 20130313 あとすこし |