携帯電話のディスプレイが光る。本日何度目だろうと覗き込んでみれば、着信だったので慌ててとる。 「はっぴーばーすでー」 今日何度目かの『はっぴーばーすでー』の声は、眠いのかとろんとした重さが含まれてるように感じた。 「今から行くね」 消灯時間やその他もろもろの決まりなんてどこへやら。そもそも歩いて数分でつく距離で電話というのもどうなんだろう。 けれど、悪くはない。電話を切った瞬間に、笑っている自分は正直だ。 はじめて規則を破った夜は、これはいいものなのかと少しだけ不安になった。日本は集団と協調を重んじる社会じゃなかったのか。 見つかって他人に迷惑をかけることは避けなければ。そう思っていると、敦が「大丈夫だよ、勉強だし」と呑気に言った。 まあ、見つかれば勝手に口が喋るだろうと、言い訳なんていくらでも思いついていたので、そのまま受け容れた。 それからお互いの部屋を行き来するようになった。この際気にしなくてもいいか、と思うようになったものの、口癖のように消灯時間だぞ、と言っていた。 別にいーの、とお菓子を頬張りながらの返事がくる。 敦が特にようもないのに俺の部屋にふらりと訪れた日があった。その日も、いつもの返答がくることを想定しながら時計を見た。 「敦、消灯時間だけど。最近こういうこと増えたし、ばれたらまずくないか?」 「ん〜オレ、決まりはけっこー守る方なんだけどね。でもー、もっと一緒に居たいからいいかなって」 無垢なこどものようにぽろぽろと思いを零してくれる敦は、可愛いけれど、こわい。 「室ちん、寂しがりだし」 にんまりと笑った敦の額には思い切り人差し指を弾いてやった。 そこから寂しいのはどっちだというくだらない言い争いをした気がする。寂しいのは、どっちもだな、と今なら笑って言える気がする。いや、いつだって言える気はするのだけれど、実際は言えないから、今も無理か。 「18歳おめでとー」 がちゃりとドアを開くと同時に、勢いよくとびつかれる。そのままぎゅうっと腰を引き寄せられて、すりすりと頬ずりされる。 猫みたいだなあと触れる髪の毛がくすぐったくて身をよじれば、「やっと二人になれたねえ」と、心底嬉しそうな声を漏らした。 ああ、とってもとってもとってもかわいい。好きだよ。大好きだよ。甘い言葉をさらさらと降り落としては、敦は笑みを浮かべる。 敦はそのまま俺を腕の中に収めたまま、一歩二歩と歩を進める。俺は後ずさりするような滑稽な歩き方になりながらも、シャンプーの香りがするなあ、と呑気に思っていた。 せーの、と声が聞こえたとき、思い切り背中を打ちつけた。どうやらベッドになだれ込んだらしい。アメフトのタックルのようだ。 「…ごめん、痛かった?」 「いや、大丈夫だけど。…ドア閉めてきて」 「あ、やらしーこと考えた?」 考えたのはどっちだ。 「…いいから閉めてこい」 「わかったー」 こういうときだけ俊敏だ。立ちあがって、数歩歩いて、長い腕を伸ばす。ドアノブを掴んで思い切り押せば、あっという間にドアはしまる。 一仕事終えたと言いたげな顔をしてごろりと横になった敦は、とても上機嫌だ。 「眠くないか?眠いなら寝ても、」 「だいじょーぶ、廊下寒いから目冷めたし」 敦は伸びきった袖口で目をこすった。指先まで隠そうとしたら、こうなったらしい。身長もまた伸びたようで、服のサイズを見つけるのにも一段と苦労が増えた。 「18歳ってだけ聞くとさ〜、なんか大人って感じだけど、そうでもないよね」 「それ、どう受け取ればいい?」 「んーそのまんまで」 確かに昨日の今日で何が変わるわけでもない。少し前までは年齢にすごく拘っていたけれど、年齢なんておまけなのかもしれないと最近は思う。 どれだけ年を重ねても、成長しなければ大人にはなれない。1年前に比べると、大分マシになったと思えるから、成長したと思うことにしよう。 1年前の誕生日は、山盛りのケーキを抱えた敦が部屋にやってきて、二人でケーキを食べた。学校に行けば、ロッカーも下駄箱もカラフルな包みであふれ返っていて、扱いにとても困った。 人目のつくところに贈り物をするなんて盗まれやしないのか。平和だな日本は、なんて感心してしまうくらいに。 「ここでお互いの誕生日も祝うのも、これで最後だな」 時が過ぎるのは早いもので、あと半年で退寮だと思うと、高校生活なんてあっという間だと思う。何があったかなんて、一言では表すことができないほどに。 「…思い出にふけるとか今日は駄目だから。それにまだ大会残ってるし」 「そうだな」 最後のウィンターカップ。これで、全部が終わりだ。敦の口からまだ大会が残っていると聞ける日がくるなんて思ってもいなかった。 「しっかりな、紫原センパイ」 「その呼び方ヤダ」 むうと膨れた頬を押してやればぷっと息が漏れた。ぷっぷっぷっ、ぷすー。かわいい。それが面白くて何度も頬を押すと、こどもじゃないんだからと叱られたので仕方なく指を引っ込める。 「アンタ、ほんとそれでもじゅーっはさい?」 「18歳だよ、10月30日生まれ。敦だって今日は何度も祝ってくれたろう?」 登校時から、朝練から、お昼から、放課後から、帰りまで。繰り返されるおめでとうに、もういいよなんて言えなかった。 おめでとうと言われる度に増えていくキャンディにクッキーにチョコレート。小さな子どもが自分の大切なものを分け与えてくれるようで、嬉しかった。 「まあまあ、可愛かったから」 「うれしくねーし」 「あ、約束破るのはまだ駄目だぞ」 はっ、と今日の約束を思い出したのか敦は下がっていた口角を思い切り引き上げた。 プレゼントは怒らないこと。嬉しかったら笑うこと。そうやって一緒に過ごしたいと願えば、そんなのでいいのと敦はきょとんとした顔で言った。 敦が笑ってくれたら嬉しいから。本音だ。もちろん、どんな顔だって、みていたいし、一緒にいたいと思うけれど。 やはり一番は笑ってくれたら嬉しい。今日が終わる前に、いっぱい笑ってもらわないと。 「とってもかわいい」 「えー…うん」 「それにかっこいい」 「…どっち?」 「バスケしてる姿が好きだ」 「はいはい」 「俺のことを好きな、敦が好き」 「……もっと」 ふにゃりと緩んだ顔に思わず笑ってしまうと、「もっともっともっと」と強請りはじめた。 「敦が好きだよ」 こういうことは、もっと敦の誕生日に言えばよかったな。普段から言えばよかったかな。 だめだな。過去形にするにはまだ早すぎるとさっき話したばかりなのに。今は、俺もだよ、と擦りよる敦の体温の心地よさに浸ればいい。 好きだよ。大好きだよ。怖いくらいに。会えてよかったって、思うよ。 午前零時を過ぎたら、この話はおしまいだ。誕生日じゃなくて、いつも通りの日。何を言ったっていい。すぐに新しい日がやってくるから、まだまだ忙しい。 机の上にある時計が0時を示す。10月31日。俺が時計の方をみると、敦も顔を動かした。 「日付、変わっちゃったね」 Trick or treatとはもう言わない。お菓子がないことなんて互いに分かりきっているのだから。 「いたずらしていいー?」 こうして、俺たちは、また幾つもの日を重ねていく。 「いいよ」 それはそれは、御馳走を前にしたときのような笑みを浮かべて、かぷりと肩に噛みつかれる。 お菓子じゃないから、歯をたてたらだめだよ。心の中で言えば、聞こえていないのに敦が顔をあげた。 「…どうした?」 「んー、いたずらするって感じじゃないかも」 首をひねって、敦は黙り込んだ。互いの考えていることを言葉にすることも増えた。そうしないと分からないことはたくさんあるからだ。傷つこうが、言いたいことは言う。疑問に思ったことも。 そう決めたときは慣れないせいか、遠回しの口調を引きずったままだった。自分の本心に気付かないように、何重にもコーティングして、笑ってみせた。ようやく、最近になって何重ものコーティングは溶けてきたように思う。 「ハロウィンだからいたずらだろう?」 「ハロウィンだけどー…いたずらの気分じゃねーし」 去年は俺が食べきれなかったケーキをあげたから、いたずらはなしになったけれど。今年はこの部屋には甘いものなんて何もないから、いたずらするしかないし、されるしかないのだけれど。まあ、去年と今年とではいたずらの内容が違うかもしれない。 「あ、わかった」 「なに?」 ゆるんだ口元を手でおさえて、むくりと起き上がる。敦?と声をかけると、すとん、と両腕が降ってきた。ぱさりと長い髪も降ってきて、目にかかる。 指先が頬をなぞって薄紫色の髪を落としていく。愛しむような眼差しは俺に向けられていると思うと、たまらない気持になった。 『あのね、』焦らすように敦はいつもよりもさらにゆっくりと言葉を紡ぐ。 「幸せにしてあげる」 昔見た童話のようだ。長い髪、救世主、愛しむ眼差し。まるで、王子様みたいだな。 「俺、十分幸せなんだけどな」 背に手を回せば、互いの距離が縮まって唇が触れた。嬉しいと笑った顔にくらりとした。生まれてきてよかった。 俺は、どう足掻いたって可愛い可憐なお姫様にはなれない。 それでも、いいなら。こんな俺でも、男でも、いいなら。敦が笑ってくれる永遠が欲しいと思う。 20121030 午前零時を過ぎたらね、永遠のしあわせをあげるからね (HAPPY BIRTHDAY!Tatsuya himuro!) |