今日はとってもお天気がいいからね。敦、スミレと一緒に出かけておいでよ。
本当は3人でお出かけしたかったけど、辰也はお仕事が忙しくて無理らしい。 敦も辰也と一緒がよかったみたい。だから、僕と敦で辰也に一緒に行こうっておねだりしたけど、首を横に振ってばっかりだった。
「もー、分かったし」
諦めたのは敦の方が早かった。こっちにおいでって手招きされてしょうがないから後をついていく。 僕がまだ開けられない大きくて重い扉を敦は簡単に開けて、外へ出た。ぴゅうぴゅう冷たい風が吹いてるけど、空がとっても綺麗だ。
「辰也は頑固だからねぇ、しかたねーし」
敦がそう言うなら仕方がないね。しょんぼりしてても仕方がないから、せっかくだし楽しもう。 敦が僕に合わせてゆっくり歩く。寒いと背中を曲げて、のそのそ歩く姿はくまさんみたいだ。



「ご機嫌だねえ」
敦が大分首を下げて僕の方を見る。僕も一生懸命顔をあげて頷く。敦とのお出かけは久しぶりだからね、って言おうと思ったら 僕たちが歩いているちょっと前にボールが転がってきた。敦と辰也が大好きなボールだ。まだ僕の手には大きくて、敦と辰也みたいに上手にはつかめない。 僕の家にはこのボールが2個、リビングにかざってある。
「いいなぁ、あれとって。僕もあれほしい!」
辰也にお願いしたら、1個のボールをとって僕に見せてくれた。
「遊ぶものじゃないんだよ」
そのボールはお外で使っちゃだめみたい。よぉく見たら、どっちのボールにも字がたくさん書いてあった。漢字っていうやつが多くて、難しくて読めなくて、ボールをじぃっとみてから、 辰也の方を首を傾げてみると、辰也は大体のことを教えてくれる。
「なぁ、ここ見て。誰が書いたかわかる?」
がたがたの字を指さして、辰也がにこにこ笑う。
「…むろちんのばーか、だって。懐かしいな」
むろちんっていうのは、辰也のこと。僕の知ってる敦は辰也のことを辰也って呼んだことしかないから。
おうちに遊びに来た大きいゴリラみたいな人と、ツリ目の男の人が言ってたのをこっそり聞いちゃったんだ。 ツリ目の人は、敦の居ないところで、辰也に室ちんじゃねーのかって言って笑った。ツリ目の人の横で真っ赤になったゴリラみたいな人と同じくらい、辰也も顔を真っ赤にしてたけど、みんな嬉しそうだった。 このおうちには優しい人が集まるのだ。

僕が黙ってる間も辰也は不思議には思わないみたいで、昔を振り返ってるみたいだった。 辰也が指差した『むろちんのばーか』の横にはペンでぐるぐるに消された字があった。 よく目を凝らしてみるけど、最初の何文字しか分からない。 Wエース?――だぶるえーす。そのあとがよく分からない。聞いてみたくて顔をあげたら、辰也はくすぐったいような顔をした。
「昔の話だよ」
そう言って辰也はお話を終りにしたけど、Wエースの続きには何て書いてあったんだろう。辰也はぐるぐるの字の下に書かれてる文章を知っているのかな。 きっとまだまだ僕の知らないことがあるんだろうなあ。いつかそのお話も聞けたらいいなってそのとき思ったんだ。

転がってきたボールを目がけて走ったら、敦の長い足がびゅんって僕の前に出てきた。
「急に走ったら危ないでしょー」
でも、このボール僕も欲しい。オレンジ色もとってもきれい。
「人のだからねー。それは勝手に触っちゃだめー。好きなのは分かるけどさー」
もー、誰に似たんだろうねえ。敦が首をこてんと傾けながら、手を出してくれる。
「ほら、おいで」
敦抱っこしてもらえると、世界はぐんと広くなる。僕はまだ小さいから、ここからみる景色はいつもと全然違う。 敦みたいに大きくなるよねって辰也に聞いたら、そんなに大きくなったら困るよって言われちゃったけど。 敦は辰也に告げ口するつもりなんだ。告げ口っていうむずかしい言葉も、僕は知ってる。 辰也は色んなはなしを僕に教えてくれる。嬉しくて辰也に抱きついたら、あつしよりもかしこいなって言ってもらえる。 あっ。これはぼくと辰也の秘密なんだけど。僕は考えてることがすぐにばれちゃうから、ないしょのことは敦の前で考えちゃいけない。

ほんとうは、ちょっとだけ寂しい。眠るときは敦と辰也は一緒に寝るけど、僕は一緒に寝かせてはくれない。 まだ小さいから、僕だけのベッドで眠る。小さいから潰したら危ないし、って敦がしょんぼりしながら言ってたのを知ってる。 もう少し大きくなったら寝ようなって辰也は言ってくれたけど、もう少しっていつだろう。 敦みたいにおやつをたくさん食べたら、もっともっと大きくなれるかな。 そうだ、敦の秘密のお菓子箱から今度いくつかもらってみよう。この前もそう思って、お菓子箱を触ってたら、おこられちゃった。 あつしが怒って、僕の手をめってしった。だって、おおきくなりたかったんだもん。いっしょにねたかったんだもん。 いっぱい言いたいことはあるけど、おもえばおもうほど、さみしくなっちゃって、おおきなこえでないちゃった。 慌てた敦が僕のことを抱えて、辰也を探すから、なんだかおもしろくなっちゃって、今度は笑っちゃったけど。 そしたら、敦もふにゃって笑って、頭を撫でてくれた。なんだなんだって、騒いでた僕らに気がついた辰也がこっちに来たら、もっと笑ったのを僕は見逃さなかった。 敦は辰也が大好きだし、辰也は敦のことが大好きだ。辰也は僕のことを好きだし、敦もきっと僕のことを好き。 けど、家には辰也と敦のおそろいのものがたくさんあって、そのなかに僕のものはないのが、やっぱり寂しい。 たくさんの字が書いてあるボール、おそろいのマグカップ、おうちの鍵も辰也と敦は持ってて、僕は持ってない。 僕がいいなあって思うのは敦と辰也の薬指にある銀色のやつ。二人はあれをとっても大事にしてる。 敦がお出かけするときは、いってらっしゃいのキスをたくさんするけど、左手の薬指にもキスをする。 辰也は敦が出て行った後てのひらを広げて、にこにこしてる。この顔は絶対に敦が見ることができないから、僕はちょっと嬉しくなる。僕だけの秘密の宝物だ。

ばれてないかな、と思って敦の顔をみる。なぁに、って言われたけど、首を振った。 オレンジ色のボールは男の子たちが、持って行っちゃった。 男の子たちはボールを投げたり、ついたり、走ったりしながら楽しそうな声をあげてる。
「元気だねー」
あのオレンジ色のボールを指差した辰也と同じような顔をしてるから、敦も辰也と同じことを考えてるのかもしれない。 二人はオレンジ色のボールを見る度に、お互いのことを思い出すみたい。
その後はぐるぐるといつもの歩くお決まりの道を歩いて、そろそろ帰ろっかって敦が言った。たぶん辰也のことを思い出したから、はやく会いたくなったんだ。






「敦、スミレ、おかえり」
扉をあければ、辰也が玄関まで迎えてくれた。
「ただいま〜。もうすっごく寒かったんだけど」
そうか!僕はずっと敦に抱っこしてもらってたから暖かかったけど、敦は寒かったんだ。
「ああ、本当だ。すごく冷たいな。俺の手より冷たいや」
辰也が敦のほっぺたを手のひらで包むと、敦は小さい子みたいに、顔がゆるゆるになる。
「手じゃなくてちゅーがいいなー」
「スミレが見てるからダメ」
「えー。じゃあ、スミレ、ちょっとだけ見ないで」
ひゅんって急に下ろされたから目がくらくらした。敦のお願い通り僕は二人の傍を離れることにする。 こういうときは待つのが一番。お外に比べて暖かいおうちのなかなら、いくらでも待てる。 ぽかぽかあったかくなってきたなって思ったら、いつの間にか辰也はごはんの準備をし始めて、敦もお手伝いをはじめてた。 もう、振り返ってもいいならいいって言ってくれたらいいのに。ちょっとだけの怒った気持ちも、。 お見通しって言いたいような辰也と敦の横で、僕はご飯を食べて、嬉しくて、忘れちゃうんだ。


「スミレ、こっちおいで」
お腹もいっぱいで眠くなってきた頃、辰也が僕を抱き上げた。迷子にならないようにっていつもつけているのを外そうとするから、僕は慌てて手足を動かした。 だってこれは敦と辰也が僕に似合うって買ってくれたんだもん。お気に入りだもん。
「ははは、すっごい嫌がってるな」
「そんなの気にいってたのー?執着心が強いのも辰也そっくり」
暴れないのって、敦の大きな腕の中で抱かれたらもう動けない。
「え?敦もそうだろ」
「…むう」
「まあそれはおいといて。もっといいものつけてあげるから。おとなしくして」
わかったよ。辰也。大好きな人のお願いは聞かないといけないもんね。じっとしてると、久々に首がゆるくなって、変な感じになった。 でもこれがなくなったら、僕が迷子になったら分からなくなるよ。僕がここのおうちの子だって、分からなくなっても、二人はいいの。
「あらら、ご機嫌ななめになっちゃった」
「大丈夫、これを見たらね、すぐに嬉しくなるよ」
お菓子を見つけた敦みたいにね。辰也がくすくす笑うけど、僕にとっては一大事だ。 「ほら、」
辰也の後ろからは真っ赤なリボンがかかった包みがでてきた。こういうのをプレゼントっていうんだっけ。
「メリークリスマス」
そうだ、思い出した。ちょうど1年前の今日、僕はこのおうちに来たんだ。クリスマスだからって色んな友達がいなくなるのを横で見ながら、お店が閉まる前に、敦の大きな腕に抱っこされたんだ。 おっきい掌が僕の頭を撫でる。毛がぐしゃぐしゃになるけどこの大きい掌が僕は大好きだ。
向かいに座った辰也は真っ赤なリボンがかけられた包みを開けて、ゆっくり中身をだした。 辰也の白い手に握られてたのは、綺麗な色をした首輪だった。スミレの色だよって辰也が言った。僕の色っていうよりは、敦の髪の色みたいだけど。
「家族になってくれてありがとう」
辰也がにっこり笑った。銀色の丸いやつ、僕がずっといいなぁって思ってた指輪が真ん中にぶら下がってる。嬉しくて嬉しくて大きな声をだしたら、二人とも僕よりも大きな声で笑った。 辰也と敦がそれにキスをくれて、新しい首輪はすっぽり僕の首に止められた。もっともっと、銀の指輪が見たかったのに。 鏡の前で見たら、もっとちゃんと見えるかな?

駆けだした僕の後ろでとっても嬉しそうな二人がキスしてるのは、気付かないふりしてあげる。
二人が幸せなら、僕はとっても幸せだから。辰也、敦、大好きだよ。


20121226 Home Sweet Home