起床時、夢を見た。首元が冷たい。汗だとわかるのに少し時間がかかった。もう、冬だというのに。
登校時、後ろから走ってきた園児にぶつかられる。よくあることで大人相手だと腹立たしくもなるが、こどもだと申し訳ない気持ちになる。
昼休み、余所見をしてゴミ箱にぶつかり共に倒れる。急に倒れたゴミ箱にクラスは騒然となる。後ろを歩いていた火神くんに呆れられながらも腕を引っ張ってもらう。
六限目、珍しく居眠りがみつかる。火神くんの肩が少し揺れていたので多分笑っていた。彼は教科書で自分の頭を叩かれた時、わざと椅子を僕の机に当てたのだ。
練習中、パスが通らない。とにかく通らない。バスケに支障がでてようやく今日は駄目な日なのだと気付く。
何をやってもダメで、先輩もそういう日はあるさと言う。調子が悪い日はその調子を取り戻すことがとても難しい。何もかもがうまくいかない。
僕も今日という日は駄目な日だからしょうがないのだと結論を下すことにした。 火神くんの視線が気になる。こんな日は言ってはならないことを言ってしまいそうだ。言わない、言えない、言ってはいけないことを。早く帰って、寝て、起きればきっと元通りになるだろう。 ――と、考えていたのは練習を終えた一時間前のことだ。「たまにはうちで飯でも食おーぜ」という珍しい火神くんの誘いによって、今僕は一番居てはならない場所にいる。

「今日、おかしくねーか?」

ひたすら炒飯の咀嚼に集中していた火神くんが突然話し始めた。山盛りの炒飯はいつの間にか残りわずかとなっている。

「何がですか?おいしいですよ、炒飯」

家に呼んだと思いきや彼は黙ったままだった。 座ってていいからといわれ、大人しく座っていた僕は雑誌を読みながら夕食ができるのを待った。 もちろん彼が聞きたいことは、そんなことではないことくらい僕にも分かっている。ただ、炒飯は美味しかった。僕は料理が出来ないし、火神くんが僕のために作ったのだと思えば、美味しくてしょうがなかったので、嘘はついていない。

「何がじゃねーよお前がだよ」
「僕が……まぁ、そうですね」
「何かあったのか?」
「何かあったわけではありませんが…」

言葉につまると火神くんは、眉を顰める。言いたくねえなら別にいいけど、と言いたいのだろう。スプーンにこぼれおちそうなほど炒飯をのせて再び頬張り始めた。 おかしいのはたぶん火神くんのことを考えていているからです、だなんて言ったら彼はどんな顔をするだろうか。 火神くんは優しい。そのせいで、とも言えるし、そのおかげ、とも言えるけれど、僕はこの気持ちを捨てきれないでいる。

「…食べてからでもいいですか?」
「いいけど早く食えよ。気になるから」
「せっかく作って頂いたので味わって食べます」
「…あーもう分かったから早く食えよ」

とは言っても僕の皿の炒飯も残りわずかであと三口もすれば食べ終わるだろう。一口、二口。 カチャン、とスプーンが置かれる音がした。顔をあげると、頬をぱんぱんにした火神くんが手を合わせている。 最後の一口を頬張ろうとした時、火神くんと目があった。夢で見た目と同じだった。記憶は映像のかけらを手に入れると鮮明に蘇るという。 夢の中で、まっすぐに僕を捉えている。(黒子、お前)真実と闘志しかうつさない目に、動く唇。(お前は――、)声が聞きとれない。金縛りにあったみたいだった。やっとのことで僕の唇が動いた時(僕は――、)(違う、話しては、だめだ)、彼の目はもう僕を見ていなかった。とても、リアルだった。 僕は息を呑む。呼吸も、声の出し方も忘れてしまっていた。 そんなことを思い出したって、今は現実で、目の前に居る火神くんは僕から目を逸らさない。

「…食べづらいです」
「あ、悪ぃ。気にすんなよ」
「………ごちそうさまでした。美味しかったです」
「無表情で食っておいて…本当にうまかったか?」
「はい、本当に美味しかったです」

そう言うと火神くんは思い切り笑って、やっぱ誰かに食ってもらうってのはいいよなあと言った。 心臓が熱くなるのが分かる。知っていた。バスケの時では決して生まれない熱だった。ああ、好きだなあ。 そう思った瞬間に顔までも熱くなるのがわかった。そうだ、僕は、好きで好きでしょうがないんだ。 分かっていたはずなのに、分かっていなかったのかもしれない。分かりたくなかった、といったほうが正しいのだろうか。
どうしようもない気持ちのままでいい。ゆるゆると力が抜けて、なんだか笑いたくなる。

「何笑ってんだよ」
「元気になったからです」
「…やっぱり何かあったんじゃねーか」
「それは…、もう少しこのままでいたいと思ってたんです」

火神くんは何も言わない。じっと考えている。何がこのままなのか、なんで、そう思ったのかということを飛ばしているものだから、きっと一生懸命考えているのだろう。 それが面白くて、今度は声を出して笑ってしまう。

「今年、もうすぐ終わりますよね。年が明けてもきっとすぐ…、すぐに春になって、新入生が入ってくるんですよ」

シンニュウセイ、と火神くんは初めて聞く単語のように繰り返した。

「新入生かー」
「火神先輩ですよ。笑えますね。先輩だなんて」
「お前だって黒子先輩だぞ。後輩からも陰薄いって言われたりしてな」
「二メートル超えの新入生が入ってくるかもしれませんよ」
「お前よりも影薄い奴入ってくるかもな」
「火神くんより跳ぶ人が入ってくるかもしれません」
「負けねえよ」
「知ってます」

今度は二人で笑う。こんな時間が、愛しくてたまらない。もっと、もっと続けばいい。 それで、と話を始めると、けたけた転がりながら笑ってた火神くんが目尻を抑えながら起き上る。

「先輩も、来年は引退ですから、だから、もう少しこのままがいいなって、思ってたんです」
「なんとなくわかる」
「でもこうして火神くんと過ごしてたら、僕らはまだあと2年も一緒にバスケができるんだなって思ったんです。まだまだ強くなれるなら、この先も悪くないなと思いました。 感傷に浸ってしまったってところですかね」

火神くんはこの言葉の向こうの真意を見つけるのかどうかはわからない。 どっちだっていい。嘘はついていないのだから。今のメンバーの誠凛はもうすぐで終わる。 新入生が入って、先輩と呼ばれるようになる。なんだか楽しみで、寂しい気もする。だから、嘘ではない。

「頑張ろうな」
「はい、頑張りましょう」

この一言で僕はどれだけ救われただろう。僕の一言を彼も大事にしてくれてたら、この上なく幸せだ。 願わくば、僕が知る誰かたちも、いつかこの言葉を励みにしてほしい。 僕は、世間の体裁を気にするような人間ではないが、ただ火神くんに嫌われるのだけは嫌だった。 そんなこと考えること自体、無駄なことだ。人を信じることは難しくて、時に残酷だけれど、得れるものが貴いからやめられない。 言わない、言えない、まだ、当分は――。時間がある。答えを出すのも、答えを聞くのも、まだ必要ない。 それでも、これからどんな思いを抱えても、目を逸らさない。そうしたら、夢の中の火神くんももう一度笑ってくれるだろうか。

20120901 僕は嘘をつかない