暑いねえと、探偵。そうだなあ、と俺。このやり取りを俺たちはかれこれ何十回と繰り返している。そしてこのやり取りのあと、探偵は決まって同じ言葉を口にする。
「吾代さん、何か面白い話ないの?」
お前は俺に何を求めているんだ。探偵はソファーの上に寝転がってキャミソールの胸元を掴んでばたばたと前後させる。普段は寝心地が中々いいというこのソファーも、夏場は暑くてしょうがない。 それが男の前での行動か?と言いたくなるが、この光景も幾度となく繰り返されたものなので、さすがにもう欲情はしない。暑さとは恐ろしいものだ。
「ねぇな、お前がしろよ」
これもお決まりの返事となりつつある。この数時間で俺たちがした話といえば、くだらないものばかりだ。探偵が持ち出した話は、ここ最近の事件の話ぐらいしかない。 失踪した犬を探せだの、不倫相手を探せだの、大したものではなかったというのが、話のオチだ。因みに俺が持ち出す話は重いものばっかりなので却下されている。 学校では何かないのかよ、と問えば(俺は学生時代を満喫したわけではないので、近頃の学生にも少しばかりは興味があるのだ)、「ないよ、なーんもない。夏休みだもん」と首を振って、化け物の愚痴へと話題が変わるというのが俺たちの会話のパターンだ。 もう愚痴へ移る気力もないらしい。ため息をついたあと、「そうだよ、夏休みなんだよね」と呟く。八月も中旬である。学生の夏休みも、もう終盤にかかっている。
「夏休み、本当は予定がいっぱいあったんだよ。夏って限定で美味しいものがいっぱいでてくるじゃない?かき氷に、冷やし中華に、激辛モノ、水羊羹も美味しいしさ。いろいろ食べに行く予定だったのに、ネウロが全部空けとけっていうから、泣く泣く予定空けたの。 そしたらこれだよ」
これだよ、が意味するのは化け物が俺たちにした仕打ちである。今日は早朝6時に事務所に集合がかかった。 仕事の話でもされるのかと思いきや、その逆である。
「我が輩、夏期休暇をとることにした」
その瞬間、やったあと歓喜の声を上げたのは探偵だったが、数秒後に状況は一変する。
「ということで、貴様達、留守番を頼むぞ」
携帯片手に、友人に電話をかけようとした探偵の動きが止まる。るすばん?とあほみたいな声で呟いて。
「我が輩今日は遠方に用事がある。その間に全ての雑務を片づけておけ」
雑務とはこの夏の事件の後処理である。どんなに些細で、くだらない事件だとしても後処理は丁寧にしなければ、依頼人が再び来ることはない。 化け物も事務所の評判を落とすの避けたいようで、その点はしっかりしているようだ。
「ちょっと待てよ、俺は関係ねーだろ?俺の会社はどうするんだよ、俺がいなきゃあの会社はまわらねーぞ」
「ふむ、その心配はない。我が輩がしっかりと手を回しておいた。奴隷一人だと仕事の能力に我が輩少々心配でな。そういうわけで、吾代、貴様も頼むぞ。もちろんここから逃げ出すというのは許さん。わかっているな?」
ぽん、と肩に置かれた手からは殺気が感じられた。逃げたら殺されてしまう。俺達に選択肢はもう用意されていなかったのだ。 この出来事はかれこれ数時間前のことだ。事務所に残された俺達はとりあえず雑務の片づけに黙々と取り掛かり、あっという間に終えてしまった。 化け物が帰ってくるのは夜だという。あと半日以上もこの空間にいなければいけない。
「ああー…仕事なんて早く終わっちゃったしね。これからどうする?まだお昼過ぎだよ?外に出るのは駄目だしー…」
ああー!もう!かき氷、西瓜、私の夏休み全部返せ!と高い声が室内に響く。さすがに気の毒だと思うが、俺にはどうしようもできない。 いつもやることがないなら寝るのだが、この暑さじゃ眠れやしない。冷房は動かない。寝かさせるものかといった魂胆が丸見えだっつの。 化け物はどうでもいいところで用意周到だ。
「ねぇー吾代さぁん」
「なんだよ、暑いならちったぁ黙ってろ。その方がマシだと思うぜ」
「だって暇なんだもん。吾代さんと二人でこうして話すの久しぶりだし、何か話さなきゃ勿体ないじゃん」
おうおうこいつは可愛いこともいうもんだなぁ。
「つってもなあ…俺も仕事しかしてないからな」
「私も…あーどっか行きたいー…ネウロいるとご飯満喫できないからネウロなしで!でもお金ないしなぁ…」
「じゃあ、今度どっか連れてってやるよ」
「うっそ!いいの?」
身を乗り出したせいで、キャミソールの胸元がだらりと下がって下着まで丸見えだ。こういうとき貧乳の方が危険だと思う。 色んなもんががっつり見えるからな。ただのエロ親父みたいだけど、これはいかんぞ探偵。
「…暇つぶしに行き先でも考えとけよ」
「そうするー!うーん…沖縄かな?あ、国外でも」
「国内に決まってんだろ馬鹿か」
なんだあ、と頬を膨らまされてもそこは譲れない。いや、国外に逃亡ってのもアリか。 どこにいこうかなあ。頬に手をあてて考える姿も可愛いなと思うってのは、俺も年をとった証拠なのか。 それとも――おいおい、まじかよ。一瞬頭によぎったことは考えないことにする。こんな日に考えていたことなんて、あてにならない。 とりあえず残りの半日は全国の名産物でも言い合えば何とかなるだろう。

20090816(20120917改稿) 秘密のお留守番