ペット


認めることが本当に苦しかった。認めてしまえば、タイガと自分に線をひいてしまうことになる。できるなら、同じラインで。いや、それよりも向こうにいたかった。 異国の地でバスケで認めてもらえた。俺にはバスケがあるから大丈夫だと思えば思うほど、バスケが好きになった。 練習はしてきた。誰にも負けない努力だってしてきた。でも足りない。自分の力だけではどうしても手に入れられない。 自分に諦めるということほど、恐ろしいものはなかった。自分に諦めをつけてバスケから遠ざかることが怖かった。 バスケと一緒に生きてきたといってもおかしくない。俺から生きることを奪わないでほしい。 何故与えられなかったのだろう。こんなにも好きで好きでしょうがないものに、どうして振り向いてもらえないのだろう。 俺じゃなくて、なんでタイガだったんだろう。憧れの眼差しをずっと独り占めしてたかった。憧れの存在で、強い存在で居たかった。向こう側の存在でいたかった。 それが叶わないことだと知るのにも時間はかからなかった。日に日に高く跳ぶ姿は、羨ましくてしょうがなかった。 嫉妬と醜い心で、強くなった。やめられない。嫌いになれない。バスケが大好きだ。大好きなもので一番で居たかった。本当の思いは、ただそれだけだった。

まだ、振り向いてもらえない。微笑んでくれない。でも、努力していればいつか振り向いてもらえる日がくる。

無駄な努力はない。いつか振り向いてもらえると信じて、ずっと言い聞かせていたこと。けれど分かる日がきた。 どうにもできない現実があることを、目を逸らすなと、タイガ自身に言われた気がした。 あの高い跳躍力が眩しくてしょうがなかった。弾かれたボール、集中を切らせてはいけないと、視線を追った。 ボールはリングに吸い込まれていった。スリ―だと、と叫ぶ声が聞こえた。近くにいる人間の声のはずなのに、とても遠くで聞こえた気がした。
認めるしかないんだ。タイガは俺にはないものを持って生まれてきた。俺が決して手に入れることができないもの。俺一人じゃ、敵わない。

強い目をするようになったな、と思う。膨れた顔も、項垂れる顔も、甘える顔も全部見てきた。バスケと出会って、上達する姿を、俺が一番見てきたんだ。
――そう思ってた。
でも、違うんだ。目の前にいたのは知らないタイガだった。俺が知らないうちに、仲間と会って、先を目指して、強くなっていた。
もう、振り向いてもらえなくてもいい。微笑んでくれなくてもいい。恵まれたやつはたくさんいて、嫌になることもあるけど、嫉妬心だってきっと捨てきれないけど。 バスケが好きだ。一人で闘わなくてもいいんだ。このチームで勝ちたいと思う。タイガ、自分勝手でごめんな。別々の道を歩めるよ。俺にも大切な仲間ができたんだ。



















「次、勝とうね」

合わせていた目を思い切り逸らしてしまった。上げていた口角も下がっているかもしれない。隣に座っている敦が、また泣くの、なんて呆れて顔を覗き込んできたけれど、首を振った。
「嬉しくておかしくなりそう」
「じゃあもっと派手に喜んでよねー」
「はは、ごめん」
「なんで謝んの」
「難しいやつだなあ」
「室ちんに言われたくない」
むすっとして、冷え切ったコーヒーを飲みほした。もっと砂糖いれればよかった、と敦は渋い顔をしている。さっき、聞いたのにな。
「ありがとう、敦」
「えー…それ、今言う?」
「間違ってるか?」
「…べつにー」
試合の記憶は断片的だ。鮮明に残ってるのは、タイガが跳んだ箇所くらいだ。超人的な跳躍力をみせつけられた、ダンクでの逆転。あの瞬間は圧倒されたが、思い出してみれば敦が誰よりも早くゴールに向かったことが、嬉しかった。あの状況では何も意識なんかしていないだろう。 勝ちたいという気持ちだけが動いていたのかもしれない。諦めていないということが、嬉しかった。 跳べないのかと分かった瞬間に気付いたことがある。遠い存在で妬んでいたくせに頼りにしていたということだった。 負荷がかかるのは当たり前で、いくら恵まれた体格とはいえ、練習をこなしてもそれを支えるほどに鍛えられてはいなかったという事だ。 どんなに才能があっても、壊れてしまえば、もうどうしようもない。栄光は闇へと変わるのだ。闇は絶望で、もう誰も相手にはしてくれない。それを乗り越えた人もいるし、俺もそういう人のことを知っている。でも、できるのならそんな苦しい思いをさせたくない。これも、誰かが聞いたら甘やかしていると嗤うのだろうか。

「俺は、神様から愛されたかったんだ。でも愛されなかった」
敦はまた始まった、と言いたげな顔をする。
「…オレ、神様って信じてないもん」
「ふふ、そうだろうな」
「…で?どーういうこと?まだあるんでしょ」

敦、そんな嫌そうな顔をするなよ。

「俺は愛されなかったけど、神様から愛された敦と一緒にバスケがしたい」
んー、と言葉の意味を一応考えてはいるようで敦は首を捻った。その顔を見ながら、だから、と続ける。
「敦が神様から奪われないように、一緒にバスケをするよ」
神様に振り向いてほしくてしょうがなかった。俺は、神様から愛されたかった。けれど、もう無理な話だ。それならば、神様が愛した敦と一緒にバスケをすればいい。 この素晴らしい才能が、奪われないように。どうか、壊れないでほしい。絶望もしないでほしい。敦がこれから知るバスケが、かけがえのないものになればいい。あの大粒の涙を見て、そう思っている奴は他にもいる。

「じゃーさ、その神様がオレのこと嫌いになったらどーすんの?」
ぎっ、と、どこからか軋む音がした。横を向けば、敦の顔。知らない間にこんなに近づいていたなんて。 答えさせたいときは、その大きな体で相手を追い詰める癖があるのかもしれない。さらりとした薄紫色の髪が目の前に広がる。
「あー…そうきたか」
「オレ、バスケ嫌いだから、神様もそのうち嫌いになるかもね」
そんなに悲しいこと言わないでくれ。敦は、バスケを嫌いじゃないだろう。 けれど、いくら言っても、もう敦がバスケを好きだと言うことはない。なら、俺だけが知っておけばいい。 敦は、否定したけれど。勝ちたいのは好きだから。泣けるのは好きだから。 そうじゃないと思い続けたいのは、怖いから。バスケをする理由なんて、人それぞれだ。
ねぇ、と声が強くなる。
「室ちんも、オレを嫌いになる?あー、それとも嬉しい?」
意地悪だな、と呆れて笑えば、どうなの、と鋭いまなざしを向けられる。 嫌わないよ。嬉しいとも思わない。そんな日が来たら。

―――そのときは、


「一緒に泣くよ」

射るような瞳があどけないものに変わる。いっしょに、と唇が動いた。うん、一緒にと笑って目の前の薄紫色を撫でれば、室ちん、ばかじゃねーの、と頭突きをされた。
「…泣かねーし」
そんな日が来ないことを祈るよ。神様は微笑んでくれないけど、俺はその存在を信じてる。 負けて、終わりじゃない。負けた痛みと引き換えに強くなれる。まだまだ、出来ることはたくさんあるし、時間だってある。

だから、敦。これから、いっぱい勝って、一緒に笑おうな。



20121025 僕らの世界