練習中には雑務をこなし、選手の大量の情報を抱え整理する。帰宅しても他校に関しての情報を収集と、仕事量はかなりのものだった。 よく働いているという印象から体を壊すなという忠告をした。彼女は芯の強い瞳で真っ直ぐ僕の瞳を捉えてから、言ったのだ。特別扱いはいらない、と。
噛み合っていないな、と思ったがその瞳は素晴らしいものだと思った。
「選手に対しても同じことを言うよ。体を壊されては困ると」
ぱちぱちと瞬きをして、あ、と小さく言う。彼女は赤く頬を染めた。
この会話は、彼女がマネージャーとして、僕が主将として会話をし始めた、まだ間もない頃だったと記憶している。

コートの中に入ることはなくとも、彼女は体育館の中にいるときはいつも凛と立っていた。壁にもたれてはいけないというルールを守っているのかもしれない。 しかしそんなルールが存在せずとも彼女はうつくしく立ち、あの瞳でボールを追いかけるだろう。 彼女は自分の仕事を誇りに思っていた。その能力に、費やした時間に感謝の言葉を述べてれば、「当然だよ」と口にしながらも頬を緩めて喜んだ。時が経てば、彼女も勝利への確信を揺るがないものへとしていた。 僕たちが負けることはないのだと言えば、そうだね、と笑っていた。その笑みが段々と変わっていったことを彼女は感じていただろうか。 僕が見抜いていたことを、彼女は知っていただろうか。帰り道に誰かのもとへ駆け寄って、高い声で名を呼ぶこともない。飽きれながらも強い口調で誰かを怒ることもない。彼女が無邪気に笑うことがなくなった。 無理に笑うことを彼女を覚えてしまった。勝利が彼女を変えたというのなら、なんて可笑しなことだろう。勝つことは当たり前だ。勝ちに種類などない。いつだって勝負は勝ちか、負けかしか生み出さない。



体育館の前、暁色に染まった空の下で、佇む背を捉えた。開け放された扉から、パイプ椅子が並べられているのが見えた。目の前の彼女はそんなものなど見ていないだろう。 視線を上にあげて、ゴールを見ている。何千回と見てきたあのゴールを、飽きずに見ている。

「桃井」

びくりと肩が揺れる。振り返らずに彼女は僕の名を呼んだ。あかしくん。久々に名を呼ばれたことに気がつく。懐かしさを感じるでもなく、思うことは、何故振り返らないということだった。 名を呼ぶだけで彼女は求めているを察知することもできた。振り返れ、桃井。あの瞳で、今もゴールを見つめているのか、僕に見せるんだ。 周囲の女子たちとは違う次元に彼女は居た。 もちろん他の女子と同じように愛らしいキャラクターを好むし、恋をしているのだとも言っていた。教室のありふれた風景の中に自然と溶け込むことだってできる。
けれどあの鋭い瞳だけは彼女しかもっていなかった。

「誰かいるかなって思って、来ちゃった」

ハズレだ。僕が求めているものではない。その答えは、次の僕が投げかけようとした問いへの答えだ。
ここには誰も来ない。これからも来ることはない。明日僕らはこの場所からそれぞれ異なる場所へと行くのだから。

「何も聞こえないの。大好きだった音が、聞こえないの」

ボールがネットをくぐる音。スキール音。休憩の笑い声。彼女が好きだった音は何だったのか。 彼女の右手が動く。ああ、泣いているのか。そして、君はその涙を拭うんだろう。 思った通り、親指が目元にあたった。
「桃井」
二度目で彼女は振り返った。桜色の髪が舞った。涙はみえない。

「赤司くん、私ね、バスケをしてるみんながすきなの」

進学先は違っても、それぞれバスケは続けるだろう。彼女が言う"みんな"は、スポーツ推薦でそれぞれが違う高校へ進学する。 例え会わなくなっても、それくらいの情報は彼女なら容易く手に入れるはずだ。スポーツ推薦ならば、バスケをするだろうと。これからも幾らでも見れるだろうと言えば 眉を下げて、声を出さず笑う。いつの間にそんな仕草をするようになったのか。 引退したのはいつだったか。あいつらに会わなくなって、どれくらいたったのか。姿を消した人間はどうしているだろうか。

「バスケでつながってた、みんながすきだったの」

過去のことだ。それは明日卒業するからだろうか。それとも、あの姿を消した奴のことを、思いだしているのかい。 君が大好きだと言っていた彼は、バスケという繋がりから零れおちてしまった。

「そこに、当たり前みたいに私が居たことが幸せだったの」

それは、僕が聞かなければいけないことかい。そう聞けば彼女は口を噤むだろうか。それともあの眼差しを僕に向けるだろうか。 こんなことを考えなくても、喋るなと言えばそれで終わりだ。

「赤司くん、ありがとう」

予想していなかった感謝に眉をひそめてしまった。主将をすることも、当たり前だった。感謝なんて必要がない。

「最後に、ここにきてくれて、ありがとう」

僕がここに来た理由も問わずに、彼女は横を通り過ぎた。振り返ったときには、もう彼女は居なかった。


20121017 さよならの日