暗闇の恋人8

まさかまさか。いや、まさかとは思ったが本当にあいつはやりやがった。 馬鹿野郎。もっと他に方法はあったんじゃないのか。いやいや、でも俺がこないだあんな事を言わなければ、事態はもうちょっと変わっていた気がする。 誰も何も言わない。突撃して言うだけ言ったくせに、目の前の男は突っ立っている。 どうするんですかコレ、と新八が耳打ちしてきたが俺の心臓が、汗がえらいことになっちゃってんだけど、どーすんの、どーなんのコレ。どうするなんてそんなの俺が知りてェよ。
「…何しにきたのヨ」
「焦るなァ。詫びに来たんでさァ」
「…詫びなんて、あれは私が、」
ハッと神楽が口をつぐむ。あれは、私が?新たな情報の処理まで、いきつけない。
「真夜中とか海とかキスとか?逃げられたら謝らないといけねェだろィ」
ぶっと噴出す音がした。俺ではない、新八である。俺はというと、あいた口が塞がらない。 キス?キス、キス、キス…。変態みたいに単語が頭を駆け巡る。ただでさえ頭が優れて良いわけではないのに、新たな事実が浮かび上がりすぎだ。
「ば、そんな、こと!ここで、」
「俺がドのつくSって知ってんだろィ。それに安心しろィ。旦那は知ってまさァ。」
もう、何これ!ああ、頭がパンクする。青の瞳がこちらを見つめている。もう、逸らすわけにはいかなかった。
「…銀ちゃん、知ってたアルか?」
「…全部じゃねーよ」
お前が望んだことだったのか、とか。キスとかキスとかキスとか、とはさすがに言えない。
「何で…」
「それ、は」
「旦那が直々に会いに来たんでさァ」
「会いに…」
神楽はこちらを見たままである。何を、どうすればいいのか。
「えーと、お騒がせして申し訳ありませんでした」
頭を下げる沖田は(今日は君付けなんてしねーんだからな)ニタリと笑みを浮かべている。 あの夜のことを思い出す。調子に乗りすぎて早くから酒を飲んでいた。 目が覚めたら真っ暗だ。ご主人様が居ないせいか不貞腐れている定春が横に居た。 ああ、やられたと思った。「あらら、こんだけ注いだら全部飲まなきゃいけないネ!」なんて言って 何杯も酒を注いだのは神楽である。数日前から予想はしていた。何か企んでいるのではないのかとか。 真夜中に決行されるとは思っていなかったが。志村家に電話をしようと受話器を握った時、居ないだろうということはもうわかっていた。 誰かと何処かへ行ったのなら。その誰かも予想はついていた。案の定志村家に居るはずもなく、俺は家を出た。 どうすればいいのだろう、と思った。迎えに行くべきかどうなのか、帰ってくるのかと思いを巡らせた所でスクーターのエンジンが響いていた。 暗闇の中、神楽を見つけたとき口には出さなかったが心底安心したのを覚えている。
「…さァて、用も済んだし。何か空気悪くしちまったし、移動するか」
勝手な野郎だ。思考はあの夜から現実へと戻ってくる。対処法は、まだ思いつかない。
「さっきの話だって、旦那が話さないなら俺が話してやってもいいんですぜ」
銀ちゃん、と呼んでいるような視線が痛い。でも俺は何を言えばいいのかわからなかった。 そもそも何で沖田に会いにいったのか。あの夜、抱いた感情を確かめるために会いにいったはずだったのに、さらにわけがわからなくなった。 そういえば、あんなに味のしないパフェは初めてだったかもしれない。 もう俺は黙ったままだろうと判断したのか神楽が目を伏せる。
「あとは、あんたと話がしてェ」
ああ、ようやく終るのか。最低かもしれないが落ち着く時間が欲しいのが本音だ。
「わかったヨ、行く」
はっきりとした声に沖田も頷いて淡々と歩いていく。派手な登場した割りに地味な退場だ。それについて行くように神楽も歩いていく。
「おい、ちょ、待て」
駄目だ、掴んではいけない。それでも、それでも俺の手は神楽の腕を掴んでいたのだ。
「大丈夫、すぐに戻るヨ」
ぴたりと俺より一回りも小さい手のひらは何倍もの力を持っていた。触れられた瞬間に力は抜けて手をはなした。 行き場の無くなった手で髪を掻いて佇んでいると
「夕飯準備してるから、早く帰っておいで」
いつもと同じように新八が笑いかける。 これほどまで新八が役に立ったことが今までであっただろうか(いやそりゃ、あるだろうけど)と思うくらい俺は新八に感謝をした。 あー、頭がくらくらする。 嵐が過ぎ去った。ようやく心臓も落ち着き始めている。ただ、これでよかったのか。
「嫁入り前のお父さんの気持ちですか?」
新八が壊れた戸をなんとか直そうと掃除を始めている。
「ちょ、俺まだ禿げてませんけど。…あぁでも、そうなのかなァ、そうだよなァ…はー」
それにしても何でお前そんな落ち着いてられんの。一大事じゃないの?これ。…って考えることが嫁入り前のお父さんの気持ちってやつなのか?
「…新八ィ、お前肝っ玉母ちゃんだなァオイ」
「そりゃあ僕もそれなりに色恋沙汰はありましたしね、いいじゃないですか神楽ちゃんも、女の子なんだし」
「それなりにって…大した色恋沙汰じゃねーだろーがよォ」
「僕にとってはねぇ、大したことなんです!…それに、わかってるんでしょう、銀さん?」
「…何をだよ」
「そりゃ…」
何だよ、早く言えよ。俺が、何をわかってるって?「本当に、わかってないんですか?」と新八が眉に皺をよせて言う。
「わかんねーよ、エスパーじゃあるめェし」
「わかってて欲しいなあと思いますけど。…はー、もうちょっと素直になればいいんですけどねェ」
奥へと消えてゆく背中は出会った頃よりも広くなっただろう。月日が過ぎるのは本当に早いと再認識する。 俺は分かっているのだろうか。もう全て分からない気さえしてくるのに、今まで気づかないふりをしていたあの瞳を分かっていたのだろうか。 あの瞳はやはり恋だとかそういう類のものだろうか。もしそうだとしたら?でもきっと違うのだと思う。恋をも超えるような――。俺ははっきりとそのかたちを知らないから確信を得ることはできないが。 そういう類のものに近いのではないだろうか。…素直に、素直にねぇ。人間それができたら、苦労しないっつの。 さて、今頃あの二人はどうしてるのだろう。とりあえずこれだけははっきりといえる。キスは、許さねェぞコンチクショー。