good night ended

弥子は補習で遅くなったと言い訳をし、腹が減ったと嘆きながら積み重なった本からクロスワードの本を取り出して笑う。
それは、だいぶ前に弥子が我が輩に差し出したものだった。興味が湧くわけでもなく放置し続けてる間にも弥子は次から次へと買ってきては積んでいた。
カチカチ。補習をしてきたのにもかかわらず、何故弥子はまだ文字を書くのか。
「ねぇ、ネウロ」
「なんだ」
「謎って美味しいのね。私が想像してたのは、味が無くて、食べてもスカスカしてて、 食べ応えがないっていうか、正直よくそんなの食べるなって思ってたんだけど、やっぱり食べて見ないとわからないよね。」
「…ついに頭がおかしくなったか。」
「そりゃあ、殴られっぱなしだし」
ソファに座って弥子は意気揚々と本を開く。ペンを握り、すばやく動かす。まるで食に集中しているかのように。 小さく息が漏れたと同時に謎の気配がした。振り返れば、我が輩の腹は満たされそうに無いとても簡素な謎を、弥子が満足そうに食べていた。
驚きというものはなくて、ただの起こりうることが起きた。それだけのことである。
「わたし、ひとじゃなくなるのかなあ」
恍惚とした表情で弥子は言う。まるで、こうなることを望んでいたかのように。見た目は弥子のまま、中身だけが変わってゆく。そのうち弥子は謎を自ら望んで食すようになるのだろうか。あんなに好んでいた人間の食物よりも。 我が輩を引き連れて弥子が謎を探しに行く。想像したら滑稽なものだと思った。我が輩が弥子に連れられるなど。 しかしこれは現実である。後に弥子は我が輩より強固な体を手に入れるのかもしれない。 弥子の横に腰を下ろすと擦り寄ってくる。人間が謎を食せばこんな作用があるのかは知らないが、謎のせいにしておきたい。
締め切ったカーテンと、夜というせいで薄暗い部屋の中で金色の髪がやたら目につく。
「恐ろしいか。ひとでなくなることが」
「怖くないよ、平気、だって、嬉しいんだ」
狂わせてしまったのは自分であるから元に戻れなど言える訳が無い。
「嬉しい?」
「だって、ネウロが寂しくなくなるでしょう?私が、ネウロに近づけたんだもの」
寂しい。それは人間がよく口にするものであって、我が輩には関係ないものであろう。 近づけた?弥子、我が輩は―。こういうときは何を言えばよいのか。いや、考える必要などないはずである。

(ねぇネウロ、黙ってないで、馬鹿だと嘲笑ってよ、いつもみたいに殴ってくれたほうがいい。 血を流した私を見て、あんたがまだ自分は魔人だと思いたいならそれでもいいし、人になることを拒まないならそれでも構わないから、だからお願い)

弥子は願う。(ネウロ、私なんとなくわかってた)手をあげる気分にはなれない。(ネウロが、ひとになるんじゃないかって)無気力。(ほんとうだよ)白い手のひらが腕をつかんだ。みし、小さく骨がなる。

(私、心配もあったし不安もあった。でも考えたときね、ちょっとだけ嬉しかったの。隔てるものが何もなくなるって。そう思うことは、いけないことだった?どうして、こんなふうになるのかな。悪いことはたくさんしたけど。なんで、すれ違っちゃうのかな、ネウロ、どうしよう、泣けないよ)

弥子は人間にとっては鬱陶しい感情を我が輩に生意気に教えたのだ。寂しいなど、要るわけがない。(弥子よ、貴様はもうそれを埋めることができない)弥子はただ、笑うばかりである。これでよかった、と言い聞かせているのだ。もう、誰も救う術を知らないのである。

BALDWIN