いくら気づかないふりをしたって

あー、頭痛ェ。そう言って彼は不機嫌そうに顔を歪めた。 回数が増えている。ばたりとソファに倒れこむ彼を見て思った。 静かにしておこう。テレビの電源を消した。そのまま手を伸ばして電気も消す。パチンと音を残して、部屋の中から灯りも音が消える。 音が消えて間もなく、小さな寝息だけ聞こえ始める。何故だかそれに安心する。生きているのだと。 彼はたまに深い眠りにつく。今も癒えない傷を深くまた抉る。私が知らない場所に行ってしまったかのように、傍にいるのに届くことさえできないような場所に行ってしまった気になる。 アルコールのせいでもない。頭が痛いだとか胃が痛いだとか体の痛みを訴えて、すぐに気を失うように眠る。病ではないと私はわかっていた。 ソファの横で彼の寝顔をじっと見ていた。私が眠れないからである。眠ってはいけない気がした。それでも昼間出歩いたせいか睡魔が襲ってくる。 瞼が落ちそうになったとき、「神楽、」と彼が私の名を呼んだ。
「夜更かしすんなっていつも言ってんだろ」
「違うヨ、たまたま起きてただけ」
嘘つけ。頭をくしゃりと撫でられて暗闇の中で彼が微笑む。
「もっとこうしていたいから、眠れないだけヨ」
「なーに言ってんだか」
眠っていると死んでいるのと同じような感覚になる。もっと生きたい、もっとたくさんのことを知りたい。平穏な時間を感じていたいと思う。 眠りに落ちる瞬間にいつも思う。今日が終るのだと。そして明日がありますように。
「はやくげんきになってね」
彼の額に唇を落として。彼の柔らかい髪が頬に触れる。優しさに包まれている。あなたに救われた人がいるように、あなたを救う人があらわれますように。
「おまじないヨ」
「おま、まったく、どこでそんなこと覚えてきたんだよ」
願わくは、それは私であればいい。そう思うことはいけないことかもしれない。(彼を慕う人がたくさんいることを、私はしっている) 確かな答えはみつからない。(そう、わたしとあなたでさがせばいい) 寝ぼけた意識のなかで、再び手を伸ばして私の頬に触れる。やさしい指先がゆっくりと頬をなぞる感触がくすぐったい。早く寝ろよ。寝る前の子供をあやすように。 救えなくても、彼がこの深い底から這い上がるための踏み台になるだけでもいい。だから、いまは願わせていて。

BALDWIN