・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ―――それにしても、本当に、数年前に持ったあのクラスほど騒がしいクラスはなかった。 名簿を閉じて、立ち上がる。今日はまだ、用事が一つ残っている。 駅前の喫茶店(甘い物の数が豊富だ)を指定してきたのは相手だった。 あれだけ聞きなれていた声が「俺の奢りです」と一丁前に言ってきたのだ。勿論、そう言ってもらえるなら俺はとことん甘えてやる。 堅苦しい式典から解放された今は、いくらでも食べれそうな気がする。チリンチリンと音が鳴る。 ここの喫茶店は扉の上のほうにベルがくくりつけられている。 「どーも、お久しぶりです」 軽く会釈をして入ってきた金色の髪の男はスーツを着ていた。 「かたっくるしーねぇ。……沖田くん」 自然と名前も出てくる。はは、と軽く笑って沖田は向かいに座った。 「俺も今日式だったんだから今ぐらいは楽にしようぜ」 「いやーさすがにそろそろちゃんとしないといけないと思って」 うわ、気持ち悪いィと笑ってやると沖田も自分でも気持ち悪ィですけどねェと眉を寄せた。 俺は教師として大した指導はしてなかったように思う。最低限のことを言ってきただけだ。 偉そうな事はいえなかった。それは多分、俺自身がまだ自分に自信がないせいだ。クラスの奴らは大半が慕ってくれたようだったけれども、 他のクラスでは何て適当な教師だと嫌っていた奴もいるだろう。別にいい。人間の好き嫌いっていうものをなくすことなんて、俺にはできない。 数年経って大人になった生徒をみると強く思う。別に俺がいろいろ言う必要なんてあまりなかった。そう、だからあの時だって、何も言わなかった。 あの日早く帰れと促したあとに見た小さな背中二つは、立派な背中に育ったじゃないか。まぁ、もう一人はまだ来てないからわからないが、きっと大丈夫だろう。 「で、あいつは?」 「用事が終ってからこっちに直行するみてーです。俺は時間あったんで先に来ました」 「ふーん。忙しいじゃねーか」 「昔から体力だけはあるから大丈夫ですよ」 それに今日は曇ってるから平気でしょう、と外を見る。真夏の快晴の日、木の下で体育を見ていた少女を思い浮かべながら「ああ、そうだな」と俺は適当に相槌をして違和感に気づく。随分優しくなったもんだ。いや、そうじゃなくて、何だかとても変な感じがする。 「あー、そうか。なんか…ぎこちねェなァ、敬語」 そう言うと「だって久しぶりだとどういう感じで喋っていいのかわからねェんでさァ」と懐かしい口調で沖田は言った。 「まぁさっきも言ったけど楽にしよーや。俺はお前んとこのお偉いさんみてーに怒ったりしねぇよ」 警察ってーのは大変なんだろうなァ。俺のこの気楽さを分けてやりたい。 「はぁ、じゃあてきとーに…あ、注文しましょーか」 「ん?おー。すいませーん」 はぁい、と高い声がやや遠いところから聞こえて店員がやってくる。 「えーと、アイスココアとチョコレートパフェ一つ。お前は?」 「じゃあアイスコーヒーで」 アイスココアとチョコレートパフェとアイスコーヒーですね、と店員が注文を繰り返して去っていく。 「…ココアにチョコレートパフェって気持ち悪ィ」 「俺はこれが好きなんですぅー」 「なーんも変わってねぇや」 大分堅い雰囲気もなくなってくる。皮肉をこめてくすりと笑う仕草、お前も変わってねーよ。 「…年取ったらなァ、なかなか変われねーの。だからな、お前も早いうち変わらないといけないと思った時に、変わっとけよ?後悔してからじゃ遅いんだからよォ」 あの日、お前は変われたのか?なーんて言うのは大げさかもしれないけどな。 クラスで女子と男子が言い合ってたら俺は真っ先にお前たちを思い出すよ。教室の中で金色の髪の少年と桃色の髪の少女はしょっちゅう傍に居た。 そのくせ、卒業式の最後まで何も変わりやしない。周りはとっくに気づいているのに、本人たちは気づかずお互い素直じゃないから面白い。 素直になったほうがいいんじゃねーの、とどちらかに何度言おうと思ったことか。 言えばその瞬間に変わっていたかもしれない。それが良いか悪いかどうかはわからない。だから、あの日職員室の前で唇の前まで来た言葉を飲み込んだ。やっぱり本人達の好きなようにすればいいと思った。 一人の教師が生徒の色恋沙汰に片足突っ込むのは、無粋すぎる。大きなお世話だ。(ちょっとからかってやりたかったのも本心だけど) チリンチリンチリンと音が鳴る。桃色の髪がみえる。神楽だ。沖田がとてもわかりやすく頬を緩める。 「せんせー!」 バタバタバタと落ち着き無く走ってくる姿は数年前と全く変わらない。 「おーひさしぶり」 「うわぁー全然変わってない!私、大人っぽくなったでしょ?」 確かに見た目は変わったかもしれない。ぐるぐる眼鏡がなくなって、髪と背も伸びている。 「さぁーどうだか」 ひらりと白いワンピースをなびかせて沖田の横に座ると同時にアイスココア達が到着する。 「あ、もう注文した?すいませーん、いちごのパフェとアイスココアお願いします」 「えーお前まで甘いもんばっか食うの?」 「いいのヨ、疲れたんだから!それよりスーツなんか着ちゃって、銀ちゃんに会うんだから普通の格好で良いのに」 「なっ、ちゃんとした格好してこいってお前が言ったんだろィ」 「だからってスーツっていうのもいかにも気合はいってます!って感じがするし…まぁいいけど」 片言の日本語も未だ多少なまりがあるものの、随分と流暢になっているのに気づく。口論を無理やり終えた神楽がそれ一口ちょーだい、と勝手にスプーンをとって、崩れかかったアイスクリームをすくおうとするのを沖田が阻止する。 お、妬いてんな。 「あ!何するのヨー」 「もーすぐ来るんだから我慢しろィ」 沖田がスプーンをパフェの中につっこむ(おいおい、これ俺のパフェなんだけど)その隣で頬を膨らました神楽がまた表情を変えて、鞄をごそごそと探り出した。 「そうそう、返さなきゃいけないものがあるの」 はい、これ、と机の上に五百円玉と百円玉と一円玉が一枚ずつおかれる。 「何だこれ」 こんな中途半端な金を貸した覚えは無い。貰えるものはありがたく貰うけど。 「これね卒業式の時のお釣り。あの時返すの忘れちゃったから」 卒業式。職員室の前、ため息をついて、千円札をさしだした、あの日だ。あれが、今更戻ってくるなんて。(しかも、こんな中途半端な額で) 「こんくらい黙ってもらっときゃいいんでさァ」 「…もー、覚えてないの?」 「…覚えてるけど」 ふふっ、と神楽が笑う。「銀ちゃん、手ひらいて」といわれるまま右の手をひらくと三枚の硬貨がのせられる。 「ありがとう」 白い両手が俺の右手を上と下から挟む。少しだけ泣きそうな顔で神楽は笑った。 「はっ、大袈裟なんでィ」 「…あの時間は高校生活の中ですっごく大事なものになったんだから、感謝しないと」 そういうことなら千円札丸ごと返してくれとはさすがに言えない。 「…別にそこまで言わなくても、」 「いいの!だから今日だってこうやって直接…あれ?言った?」 「…まだ」 ストローをかみながら沖田が言った。えぇ!と神楽が不満の声を漏らしたので沖田が横目で「お前待ってたんでさァ」と不機嫌そうに言う。すっかりデレデレになっちまって、時間っていうのは凄い。 「じゃあ、今言ったらいいネ、はい、どーぞ!」 「はぁ?そんな唐突に・・・。えーと…今日は、」 そういえば今日何故呼ばれたのか知らない。俺の性格も適当だし、こいつらの性格も適当だから別にいいかと思っていたのだ。 「今日は、えーっと、今日は…ですねェ、何故お呼びしたのかというとですねェ…」 ごにょごにょと沖田が口篭る。珍しい。言いたいことははっきりと言うタイプだったのに。 「お前がいえないなら私が言う、全く情けない」 「ちょ、まて、ここは俺が言った方がいいだろィ、立場的に」 「じゃあさっさと言えばいいネ、悪い事じゃないんだから」 もごもご言い合う二人を見て、俺はすぐに見当がつく。 「あーもう知らねェ!お前が直接言いたいって言ったんだから俺は関係ねェ」「頼りない!やっぱりこういうのは男が言うべきヨ」「さっき俺はそう言いやしたーなのに焦らすお前が悪ィ。これでも緊張してんでさァ。もうお前が言えよ、お前が」「なっ、そんなん言われたって…私だって緊張してるのに!」「ほらみろ、お互い様じゃねーか」 相変わらずだなァ。それが面白いんだけど。パフェを食べながら二人を見つめる。俺の勘は、あまりはずれない。 「おーい、お二人さん」 向かい合っていた二つの顔が俺を見る。まぁ、相変わらず仲がよろしいことで。 「結婚おめでとう」 二人の丸い瞳がくるりとさらに丸くなる。やっぱり銀ちゃんにはお見通しかぁと一人が笑って、もう一人がほんの一瞬拗ねた顔をみせて笑う。 その姿に懐かしい少年と少女の笑顔が重なってみえた。(思わず泣きそうになったじゃねーか。式はまだだっつーの) あの日何が起こったのかは、またそのうち、酒でも飲みながらだな。不器用な少年と少女は知らない間に大人になってしまった。 なぁ神楽、いつの日か大人になるのが嫌だと嘆いていたけれど、大人も悪いことばかりじゃないだろう?離れるだなんだってあんだけ喚いてたのに、今、お前の大事な奴はこんなに近くにいるじゃねェか。 俺の可愛くて大事でしょうがなかった生徒達、いつまでも、どうぞお幸せに。 約束はハッピーエンド
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