ネウロが謎のために遠出することは多い。大抵は吾代の車で現地まで行くが、最近は特に忙しいらしく、車も中々出してはもらえない。 今回の場所はあらゆる交通手段をど乗り継いで辿り着いた、緑が広がる田舎である。今までにも田舎には訪れたことがあるが、今回はなかなかの強敵だと弥子は思う。 目的地は駅からもかなりの距離があった。天気はとても良好。日差しがきつく、皮膚がじりじりと痛む。不満を溢せばネウロの嫌がらせもひどくなる。 弥子は文句ひとつ言わない自分を自分で褒めて(ああ、なんて私はえらいのだろう!絶対今日の夕飯は美味しいに違いない!)、ひたすら歩き続けた。 歩き続けて数十分、数歩先を歩いていたネウロが立ち止まる。
「この上だな」
高身長のネウロが珍しく目線を上にあげる。目の前に広がる石畳の階段をみて弥子は目眩をおこしそうになった。 嘘でしょと自然に口が発していた。開いた口が塞がらないとはまさしくこのことなのかもしれないとも思った。
「暑さで呆けるのはまだ早いぞ、まだ謎にすら辿り着いていないのだからな」
「…ねぇ、ここを通らないと行けないの?…あたしへの嫌がらせとしか思えないんだけど」
「無理だな、我が輩が食事の時間を削ってまで貴様に嫌がらせをすると思うか?」
「うー…確かに。あーあ。いいよね、あんたは疲れ知らずで」
こっちなんかもうへろへろだよと横に立っているネウロをちらりと見る。相変わらずのスーツ姿、見るだけでも暑苦しい。 弥子の姿はその真逆で白いワンピースにコサージュがついたサンダル。しかもヒールが高いものを選んできてしまった。家を出るときはまさかこんな階段を上るなんて思ってもいなかったのだ。
「無駄口叩くならさっさとのぼれ」
手袋を纏った指先が弥子の頬を抓り上げる。
「ひゃいひゃい、わひゃりわひはー。ひょっほ、はひゃひへよ!」
「おやおや、何を言っているかわかりませんよ、先生。随分とお疲れですね」
思い切り頬を引っ張った後、指を離す。弥子は両手で頬を抑えた。
「…だってお腹すいてるんだもん。ねぇ、謎解く前に何か食べてもいい?」
といっても、近くには建物すらあまり見当たらない。どのみち階段を上ることには変わりないんだと弥子は憂鬱になる。 電車の中で食べたお弁当ひとつくらい置いておけばよかった。お菓子だって、結構買いこんだのに。 謎のための遠出には慣れたけれど、胃袋をセーブすることは未だに慣れない。
「不満を言いたいのは我が輩の方だ。貴様はさっき食っていただろう。一昨日の我が輩の食事を貴様ら人間の食物で例えると米一粒といったところだ。 空腹時に米一粒与えられてみろ。さあ、貴様はどうなる?」 お米食べたことないくせに、と弥子は思ったが、やっぱり米一粒という例えは大きい。 空腹時に米一粒。その後二日ほど食事無し。考えただけでも絶望する。
「…モウシワケアリマセンデシタ」
「よろしい」
「あーあ。…じゃあ、のぼろっか」
弥子は足を進める前に一度だけ大きくため息をつく。とりあえず上るしか選択肢はないのだ。 今挫けてしまえば気力が全てなくなる。ここは気持ちを新たに頑張らなければ。 終わればご飯、絶対食べる。ここらへんは美味しいお蕎麦屋さんが多いって調べたし、この階段を上ればお店だってあるはず。冷たい麦茶に、おろしそば。よし、最高!と拳を握り締めて、足を進めた。 最初は足取りも軽い。一段、二段と順調に階段を上っていく。 しかし、時が過ぎれば過ぎるほど日差しの強さは増すばかりだ。それに反して体力は確実に失われていく。
「あともうちょっとなのに…」
三分の二の階段を上り終えた後、弥子はうわ言のように呟いた。 幾ら上っても頂上にたどり着かない。まるでまやかしでも見ているような気分になる。
「あっつい…しんどい……もう最悪」
ワンピースはぺったりと背中に張り付いているし、サンダルを履いた足はもうあまり感覚がない。 もちろんヒールのあるサンダルをはいた自分が悪い。もっとヒールのないまっ平らなサンダルにしておけばよかった。弥子は家を出た時の自分を悔いた。 ゆっくりと一段ずつ階段を上る。まだまだ先は長い。前を向くとまだまだ広がる階段にうんざりするので下を向く。アクアマリンのペディキュアを塗った爪を見て、やっぱりこの色にはこのサンダルがよかったんだもんと自分を奮い立たせる。 ネウロは階段を上りはじめたときから黙ったまま、階段二段分、一定の距離を保って弥子の後ろを歩いている。
「はぁ……あー…もう、あっつ。…ネウロ、先行ったら?別に私に付き合ってのろのろ上らなくてもさぁ、後から合流して上手く口裏合わせればいいじゃん」
右足を次の段差の上に置く。だから、先に行っていいよ、と言うはずだったのに、言葉を発することができない。前に出した右足に力をいれて階段を上るはずが、足に力が入らなかったのだ。足が体を支え切れず、同時に体が宙に浮く。これは、後ろに倒れると弥子はきつく目を瞑ったが、一向に体に痛みが走らない。 恐る恐る目をあけると、視線が普段よりもだいぶ高くなっている。倒れる前に、ネウロが弥子を抱え上げていた。
「まったく、謎を喰う前に倒れられては我が輩が困る」
「…ごめん」
至近距離にネウロの顔。汗ひとつかかず、金色の髪が日差しに当たっていつもよりも眩しい。 風が吹いて、ワンピースの裾がなびく。スーツ姿と白いワンピースの男女。熱かった頭も少しさめて、弥子は映画のワンシーンみたいだと思った。
「…これはお姫様だっこって、やつだね。」
「気に入らないのか?気に入らないなら今すぐ落としてやっても構わないが」
いつものような脅しではない。ネウロは悪戯を含んだ笑みをみせる。そりゃ恥ずかしいけど、嫌じゃないよ。でもこうなるってわかってるなら、最初からこうしてくれたらよかったのに。 頭の中で思うことはいっぱいある。けれど、今は素直な願いを口にしたほうが絶対良いと弥子はわかっている。
「…上までお願いします」
青空の下、ネウロの首に腕を回して、弥子が笑う。「何と生意気な」と悪態つかれたが、ネウロが微かに笑ったことを弥子は見逃さなかった。





20090704 真夏のスクリーン