彼女はとても可愛いかった。若いからとか制服だとかそういうものは関係なかった。 彼女そのものがとても可愛かったのだ。可愛い、というより愛しいに近いかもしれない。 しかしそれが所謂恋なのかと問われれば俺は肯定することができない。 彼女の父親が殺された日、あの日の彼女の笑った顔が忘れられない。無理やり上げた口角と力いっぱい細めてみせたあの目が、忘れられないのだ。 笹塚さん。彼女が呼ぶ。返事をする。彼女が笑う。弥子ちゃん。俺が呼ぶ。彼女が笑う。話をする。 学校が、勉強が、友達が。笑って話をするのだ。 所詮そこまで。手を伸ばすことはできなかった。あの白い指に、俺の指を絡ませる事なんて、許されないと思ったからだ。 彼女はよく笑うようになっていた。日々の彼女の姿が俺の網膜に焼き付けられていく。 それでいい。彼女には笑っていてほしい。憎悪なんて言葉は彼女には似合わない。 けれど、たまに俺の瞼の裏側に現れるのはあの日の彼女だった。憎しみと悲しみを宿した瞳を持った彼女が佇んでいる。 (その姿をみて俺は安心していた)(彼女が傍にいる気がしていたんだろう) 抱きしめたい衝動に駆られた事が何度かあった。あった、だけだ。実際にそうすることはやはり気が引けた。 職業柄とか年の差とか、彼女と俺との間には幾つかの溝があった。 それでも。あの細い腕も小さな背中も全て守っていたかった。危ないから、気をつけて、無理するなよ。 そればっかりだ。俺の口は役に立ちやしない。 笹塚さん。笹塚さん。笹塚さん。あの声をもっと早く手にするべきだった。失う事を恐れずに、もっと近づいておけばよかったのだ。 彼女は変わっていく。俺は変わらない。 彼女の瞳は強さを増していくばかりだ。とても眩しい。ああ、そうか。彼女は俺に手を差し伸べていた。俺は守られていたのだ。そして哀しいかな彼女は、疾うに他の男に守られていた。

20090308/君を呼ぶ