きみがきらい

夏が終って少し寝やすくなったと思っていたのに、なかなか眠れない。雨が降っているせいかもしれない。 押し入れの中で一人でもぞもぞと動いていても、時間はなかなか過ぎない。 それでも朝はやってきて、狭い押し入れの中に体を折るようにして座って過ごしていると隙間から微かに光が入ってきた。 雨はやんだのか、一睡もできなかったと、少し重い頭の中で考えた。瞼も重い。 静かに押し入れから出て、鏡を見にいくと目の下にはうっすらと薄紫色になっていた。 銀ちゃんのいびきが聞こえてくる。まだ夜が明けたばかりだから、きっともうしばらくは起きないだろう。 着替えて、髪は結わえずに傘だけ持って外へ出た。これ以上狭いところで考えるのは嫌だったからだ。

外は良い天気だった。雨がやんだあとの、嫌な空気もなく、水溜りだけが残っていた。 足を少しだけ勢いよく水溜りにいれると、ぱしゃりと音がして雫がはねた。水がはねて、丸い形なって、 きらきら光って、透明で、最後には割れてしまう。そこらの宝石よりもこっちの雫のほうが綺麗だ、なんて思いながら何も考えずに 歩く。道端に咲いている誰も名の知らなさそうな花や、葉から滑り落ちる雫を見ながら。

ふと、足をとめた。血の匂いだ。血の匂いにはすぐに反応してしまう癖がある。(悲しいかな今はまだ米の匂いよりも血の匂いの方が敏感だ) すぐに塀にのって周りを見渡した。が、血のあとも見えはしないし、人もいない。 そうヨ、こんな朝早くに、と思って、いつもの公園へ行く事にした。誰も居ないだろうけど、それでも良かった。 公園に向って足を進めてみても血の匂いは消えない。 公園で誰か死んでいる?そんな縁起の悪いことは考えたくなかった。公園についても、やはり誰もいなかった。 良かったと、安心して一息つく。どこかに座ろうと思って公園の端にあるベンチのほうまで行くと誰かが居た。 黒色の服、目立つ金色の髪、見覚えのある風貌だった。

行くか行かないか迷ったが人が来て混乱するのも大変だし、死んでいるのかどうか確かめてみるにした。 じゃりじゃりじゃり、と足音を立てながら近づいて、ベンチの前に立つ。 息を吸うと、血の匂いが入り込んできて、チカチカと目の前で赤が点滅した。 私は男を見て、自分を見ているのだと思った。ここに私が男と同じような姿になっていてもまったく違和感がないと思ってしまったのだ。 男は寝ていて(微かに指が動いたのが見えたので死んではいなかった)、白いベンチには赤色が所々についていて男の手はほとんど赤に染まってるといってもいいぐらいだった。

「起きろヨ」
「あぁ、もう朝かィ」
「血の匂いさせるんじゃないネ」
「ちょっと晩に人を斬りましてねェ、とっとと帰りたかったんだけど気づいたら寝ちまってたんでさァ」

最悪だ!なんでこうよりによって気分が良くないときにこんな男と会わなければならない? しかも血の匂いまでさせて!今すぐにでも此処を去りたいが、男の目は私を見て離さない。にやりと笑いながら。

「あんた何しにきたんですかィ」
「散歩ヨ」
「目の下紫にして?」
「そんなとこまで見るなヨ!うっとうしいやつネ!」
「あんた色白いからすぐわかるんでさァ、まぁそう怒りなさんな」

くっくっくと笑う声が聞こえてきた。男の行動全てが私を刺激しているようだった。傘を握る手に力を込める。 ぞわぞわと全身の毛を逆立てても叫んで噛み付きたいくらいだ。 そして猫のような尖った爪でその笑っている顔を切り裂いてやりたい。 思い切り睨んでやると男はやれやれといった表情をしながら立ち上がった。

「まぁ血の匂いをさせてたのは謝りまさァ。どうせ土方さんにも怒られるし」
「怒られればいいアル。それで二度と現れなければいいネ」
「何おかしなこと言うんです?あんたが俺の前に来たんでしょう。俺が血の匂いをさせてたから、それにつられたんじゃねぇんですかィ」
「つられる?」
「俺はてっきりあんたが血を求めて此処にきたと思っていましたけどねィ、だって普通近寄りませんぜ」
「…それは違うネ、誰かが死んでたら大変アル、お前は別にいいけど」
「よく言いまさァ。今にも俺を殺しそうな目してるくせに」

そうだ、思い出した。私は男を自分だと思いこんでいたのだ。血の匂いをさせて、冷たい笑みをみせて、戦うことを好んで、決して透き通ることない赤色の雫を浴びるのだ。 似てるから嫌いだ。私は自分が嫌いだ。(でも言い切れない、私だって自分を好きになりたい)今まで多くの人を傷つけて、血に濡れてきた自分をどうやって好きになれというのだろう。 男の顔は戦うためにあるような、そんな顔だった。そんな顔をみて思わずごくりと唾を飲み込んだ。

「あんただってこんな顔して戦ってきたんだろィ、おっかねぇ目つきしてさァ」
「さぁ、どうだか」

男は赤い手で私の髪に触った。結わえてくればよかったと後悔した。
私は力を込めていた手を緩めて、男が先ほどから何度も見せていた顔と同じ顔をみせた。冷たい目をして、相手を嘲笑うかのように少しだけ口元をあげれば、簡単にあの顔をつくることができる。 ああ、懐かしい。(でも懐かしがってはいけない。とまらないといけない)すると、どうだろう。男の顔が驚きの顔に変わっていくのだ。 しかしそれも一瞬ですぐにもとの顔に戻して「へぇ、なるほど」と小さな声で呟いた。 どれだけ償ったとしても、もしも誰かが許してくれたとしても、過去は何も変わりはしない。(わかっているのにどうにかしたいと思ってしまうのだ) 私は引き込まれて戻って、傷つけて、同じことを繰り返したくない。引き込まれるのが怖いから、そうなるまえに遠ざかればいいのだ。 男はまるでいつかの私のように(果たしてそれは過去なのか未来なのか)、きっと血の海の中で笑っているのだ、たった独りで。